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#2_「ユーザーが」を後ろ盾に作り手のエゴを押し付けない

こんにちは。リンクウェルの原です。10年以上前の写真なのですがまずはこちらをご覧ください。

外国人観光客も多いエリアにある立ち食い蕎麦屋さんの店内看板で、外国観光人客向けに英語を併記したのだと思うのですが・・・

UKEWATASHI・・・

いやそこ英語訳しないと伝わらんのちゃうんかーいと思って思わず写真を撮ってしまいましたが、こういうことってプロダクト開発の現場でも意外と日常的に起こってると思うので今日はその話をしようと思います。

ユーザー目線のように見えて実はそうなってないあるある

その1:主観で考えてしまってるケース

「私だったら…」はただの主観。ユーザー目線とはあくまで「対象とすべき誰か」に憑依して考えることであり、自分が最たるユーザーじゃないのに自分本位に考えるのは作り手のエゴでしかない

その2:ユーザーのタスクを履き違えているor想像できていないケース

クレイトン・M・クリステンセンの「ジョブ理論」にも書かれてたがユーザーはあくまで何らかのタスクを達成するために手段としてサービスを利用しているだけでサービスを利用すること自体を目的に考えている人なんていない。サービスを利用してくれる前提で必要以上に既存の面や導線を踏襲したりユーザーに高いインタラクションコストを求めるのは作り手のエゴでしかない

🖋<例>
  × 検索結果一覧で飲食店ごとの写真を比較したい
  ○ 美味しいご飯が食べたい

その3:体験を画面単位の足し算で考えてしまってるケース

ユーザーはあくまで目的を最短かつ最善に達成することを望んでおり、各画面単位で最適化されたUIの集合体=最善のUXにはならない。まず考えるべきは線の体験であり、面は線を作るための手段。順番を間違えて情報過多かつ導線がまるで効率的でない体験をユーザーに強いるのは作り手のエゴでしかない

その4:データのみで考えてしまってるケース

データは大事。でもデータは往々にして過去の行動の結果であって次の行動を裏付けるものではないし、結果をもたらした動機を示すものでもない。こちらの都合で勝手に構造化したデータだけで作り上げた生物として形をなしてない何かをユーザーだと決めつけるのは作り手のエゴでしかない

自戒も込めてですが、画面の向こうに実在する生身の人間を想像してユーザー課題を解決する滑らかな体験をプロダクトとしてデザインしていきたいですね!

本日は以上です!


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